Nov 13, 2010
高かったガラス修理
私の子供が遊んでいるとき、集合住宅、すなわち団地の共有スペースのガラスを割ってしまいました。ガラスはひび割れがありました。岩で遊んでいるときに滑ってガラスに投げてしまったようです。もちろん、実費で再度とされていません。ガラスの修理費は、良い値段になりました。業者さんを呼んで、ガラスの修理をしてくれました。ポケットが浅いタイプだったので、運転中にどこかの家の鍵を落としてしまったようです。探しても見つけることがなかったので、ホームセンターに買いに行って自分でキーの交換をしました。価格は、加工せずに良いタイプは350円程度です。私の部屋の場合は加工が必要だったので、3000円くらいでした。待機時間は1時間未満でした。鍵交換ではなく、、休養ですね。
◆高校の部
◇異邦人を愛する−−洛南高3年・土井一磨
「空気を読め」−−私の口癖の一つである。この言葉を日常生活において用いる人は、きっと少なくないだろう。不思議なことに「異邦人」を読み終えた私の頭に浮んできたのは、今まで軽い気持ちで使ってきたこの言葉であった。これまでの自分の言動を振り返ってみると、場の雰囲気や秩序を乱す相手に対して、「お前、空気読めよ」と苦言を呈することは確かにあった。だが、それ以上に本人の居ない所で「アイツ、空気読めないよな」と他の友人たちと話し合うことの方が圧倒的に多かったのだ。そう、まるで「俺たちはアイツと違って空気読めるもんな」と自分が仲間内から孤立していないことを確かめるように、そして、「空気が読めない」人を一緒になって非難することで仲間の結束を深めようとするように、である。そうした自分に気付き、私は寒けを覚えた。
私には、主人公のムルソーが物凄く「空気の読めない」男に思われた。母親の葬儀で涙すら見せず、その翌日には女と情事にふけり、挙げ句の果てには「太陽のせい」という意味不明な理由で殺人を犯した、そんな一般常識の通用しない男に対して社会は「異邦人」という烙印を押すと共に、死刑を宣告するのであった。
「空気」や「常識」は個々人に先立って存在するもので、同じ「空気」、同じ「常識」を共有する人々が集まって、互いに共感を生むことで社会を築き、そうした中で人生の目標や生きる意味を追求するのだと私は思っていた。しかし、真実は違うのだ。異邦人ムルソーの叫びが聞こえてくる。
人間は、この世に一人で生まれ、一人で死にゆく孤独な存在だ。この孤独で弱い存在が他人との繋がりを求め、共感を生み出すための手段として創りあげたものこそ、「空気」であり、「常識」なのだ。だから、これらは私たちのことを縛りつける法律やその他の社会制度と何ら変わらないものなのかも知れない。それは、自らの外部にある他人を徹底的に排斥するし、時にはその内部にあるものでさえ、社会全体を内から崩壊させる恐れがあるものとして弾き出す。そして、弾き出された「何か」こそが異邦人だったのではないか。
私たちが暮らす世界には、異邦人が溢れている。学校でのイジメ、宗教や人種の違いによる差別、国と国との戦争−−これらは全て異邦人に対する容赦なき排斥なのだ。そして、排斥を行っていた側の人間が突然、些細で偶然とも言えるような出来事のために異邦人へと変身してしまう可能性があることに私たちは気付いていない。
だが、ムルソーは気付いていたのだ。私たちの生活が「空気を読む」ための演技に満ちたものであることを、その為には嬉しくないことに笑い、悲しくないことに涙せねばならないことを。そうした現実を理解した上で彼は、この世がどれほど矛盾に満ちたものかを証明するために異邦人として処刑されることを受け入れるのであった。彼にとって確かなものは、「いま」「ここ」に存在する、偶然とも運命とも言える「人間そのもの」だったに違いない。だからこそ、彼は死を前にしても自らのことを幸福であると確信していたし、自分が孤独でないと感じるためにも、その処刑の日に大勢の見物人が憎悪の叫びをあげて自分を迎えることを望んだのだ。
そして、ここにも一つの真実がある。考えこそ捻くれたものではあったが、ムルソー自身もまた、「孤独でない」ことを切望していたのだ。彼は単に孤独を避けるための嘘や演技を拒んだだけであって、人と人との交わりは否定していない。むしろ、愛していたとも考えられる。これは私たちにとっての希望であり、救いではないだろうか。やはり、人は一人では生きてゆくことが出来ないのだ。
それでは、争いや排斥を生むことなく、人と人とが結びつくには何が必要なのだろうか。答えは「違い」に目を向け、「違い」を認めることである。私にはそう思えた。
思えば、私たちは誰一人として全く同じものは存在しない、それぞれが違いを持った一人の異邦人なのかも知れない。確かに、互いの共通点ばかりに目を向け、手を取り合うことの方が、わざわざ違いに目を向けることに比べれば、ずっと簡単なことであろう。だが、もし私たちが互いの違いをも認め合うことが出来たなら、そして違いを通じて相手のことも自分のことも愛することが出来たのなら、そこには強力な絆が生まれるだろう。そして、そうした絆によって世界中の異邦人が結ばれたとき、世界は今よりも素晴らしいものになるし、私たちの日常の風景もステキなものになるに違いない。
空を眺めてみた。そこには境目も囲いも存在しないことに改めて気が付く。
「空気を読め」−−誰かと繋がるために。バイク買取
2月11日朝刊
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